僚香(大学生と高校生)





敵は本能寺にあり…とは有名な言葉だが、僚に言わせれば敵は槇村邸にあり、だ。


(もっと言えば、敵は槇村だ)


「香はいません」


チェーンをかけたまま開けた扉の隙間から、不機嫌な顔でそう告げるこの男。
敵でなければ何だ。
しばらく無言で火花を散らす。
沈黙を破ったのは僚だった。


「…約束してんだけど」
「いないものはいないんだ」
「めちゃくちゃ声してんじゃん」
「テレビだよ」
「うそつけ!往生際が悪いぞ槇ちゃん!!!」


白熱する玄関先の攻防。
頭上でぎらつく8月の太陽も、妹を溺愛する友人も、同じくらい暑苦しいから始末が悪い。
首筋を流れる汗が不快指数を上げていく。


「…あーくそ。朝シャン意味ねぇ」
「それは残念だな。帰って一風呂浴びてスッキリしたらいいだろ」
「どーしても香に会わせないつもりだな…!?」
「だから、香はいません」
「槇村ッ!!!」


埒が開かない。
にらみ合いは果てしなく続くと思われた。


「人んちの玄関で何やってんの」
「香!?」


不毛なやりとりを止めたのは香だった。
首を傾げて立つ姿は間違いなく本人。
待ちに待った出会いだが、僚は眉をひそめた。


「なんで、おまぁ、こっちにいんの?」


香が立っているのは秀幸の後ろではなく僚の後ろ。
つまり、彼女は家の外にいたということで。
秀幸のじっとりした視線が、こめかみに刺さる。
気まずいそれを振り払うようにもう一度問い掛けた。


「なんで出かけてんだよ」
「なんでって、なんでよ?」
「おま!今日映画行くっつったろ!?」
「映画ぁ?」
「か〜…!これだよ!」


まったくピンと来ない少女に業を煮やし、財布から取り出したのは2枚のチケット。
それを見て、ようやく香が手をたたいた。


「ああ!今日からだったわね!」
「そうだよ。行くっつったろ」
「言ってないわよ?」


はい?
と、言葉になったのか、なっていなかったのか。
香の返事に思わず固まってしまった僚の背後から、会話が途切れるのを待っていた秀幸が口を開いた。


「絵梨子ちゃんと待ち合わせじゃなかったのか?」
「うん、忘れ物しちゃって。すぐまた出るわ」
「そうか。気をつけてな」


香が家に入り、何やら忘れ物を取出し、再び出かけて行ってしばらく経っても、僚は惚けたままだった。
はっと意識が戻ったとき、付き合いのいい親友はまだ玄関先で僚を見つめていた。


「…槇ちゃん。その目、やめてくんないかな」
「いや。あまりに不憫でな」


がっくりと落とした肩に降り注ぐ憐れみの視線。
少し前とは意味が違う沈黙が辺りを支配する。

キィ。

蝶番が軋む音に、地面に落とした目線をあげると、今日初めて僚のために槙村家の扉が開かれていた。


「麦茶くらいならご馳走するぞ」
「槇ちゃん…」


貰った麦茶は、よく冷えていて、ちょっぴり塩の味がした。







 

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