設定してはみたものの、果たして鳴る機会はあるのかしらん。
そう思って首をかしげていた着信音が初めて流れたのは、アドレスを交換してひと月近く経とうかという日だった。

―今週の木曜、暇じゃね?


「…素っ気ないメール」


予定はないけど、と簡潔な文章を返したのはおよそ3分後。
返事はなかった。


**


朝晩はまだ少し冷えるけれど、日中は春めいて温かい。コートを脱ぎ捨て、セーラー服の上にカーディガンを重ねただけの格好でも、気持ちよく屋外で過ごせるようになってきた。
開き始めた桜の花びらに目を細めながら、香は足取り軽く通りの角を曲がる。繁華街から少し離れたこの辺りは、よく整備されたきれいな住宅街。
通学路から少しだけ外れたこの道が、香のお気に入りだとはきっと絵梨子も知らないだろう。
そしてお気に入りなのは道だけではなく。
レンガ造りの角を曲がって、街路樹を3本数えれば


「…やってるやってる」


看板の猫のイラストがキュートな一軒の喫茶店があらわれる。
落ち着いた佇まい、三角屋根、たっぷり光が入る大きな窓。ここが香のもうひとつのお気に入りだ。
中学生のお小遣いではとても胸をはって常連宣言できるほど足繁く通うことはできないが、それでもマスターと顔見知りになる程度にはお邪魔している。
テストやら何やらでここのところ足が遠のいてしまっていたが、先日マスターからじきじきに耳寄り情報をいただいてしまったからには寄らない手はなく。
幸い3学期の成績が良かったので懐は温かい。ちょっぴりドキドキしながらいそいそやって来たというわけである。


「美味しいコーヒーと、新しい出会い!…カッコいい男の子だったらいいなあ、なんて」


えへへと笑って、はたと左右確認。1人でにやける女ほど怪しいものもないでしょうよ。
幸い人通りはなく、胸を撫で下ろして店のドアを開けた。


「こんにちわ〜」
「よく来たな」


カウンターの中で迎えてくれたのは大柄なマスターその人。
道ですれ違えば10人中10人がすかさず目を逸らすであろう強面だが、知り合ってみればとてもいい人だ。
ただ、接客業にはいまいち向いていない。確実に。哀しいほどに。それが証拠に、客はたった今入って来たばかりの香1人きりである。店員を含めても店内には2人しかおらず、閑古鳥がピーチクパーチク!
いつならマスターの威圧感を中和するかのように寄り添う存在がいるのだが。いや、それ以前に、


「お久しぶりです。…今日は、新しい人、お休みなんですか?」


マスターから直接仕入れた耳寄り情報は、新顔登場、というものだった。同じくらいの年頃のちょっとした男前と言われたら、色恋に疎い香だとて興味を惹かれた。なのに目当てがいなくてはお話にならないではないか。
いや、ただの興味本位よ?そこまで出会いを求めてるわけじゃないけど、周りは変な奴ばっかりだし、たまには息抜きしたいと言うか。…気になるったら気になるのよう!


「いや、出勤しとる」


香の質問に、マスターは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。その表情に、香の眉がぴょこんと跳ね上がる。なんでそんな不機嫌?


「えと、じゃあ」


どこにいるのかしら?

―ガラァン!


「ただいま帰りましたッ!!」


突然けたたましい音を立てて扉が開いた。驚いて振り返ってみれば、何ということでしょう。


「美樹ちゃ〜ん、ボキここまで荷物運んだんだからさぁ、お礼ってゆうか労いをひとつ」
「なに言ってるの!無理矢理奪っておいて…もう、触るな!」
「いいじゃん2人の仲だろ〜?ほーらお疲れ様のチューを」


ああ、カッコいい人だったらなんて、淡い夢だったわ…。
身近にいる変な奴ナンバーワンがそこにいた。美樹が悲鳴を上げながら、奴のみぞおちにいいパンチをプレゼントしている。
パンチを3発目まで数え、ぎぎぎ、とぎこちなく首を回してマスターに引きつった笑みを向けた。


「新しい人、って…」
「残念ながらあのうつけだ」
「…何で雇ったの」


これ以上ないほど渋面のマスターとこちらに気づかないままばか騒ぎを繰り広げる僚を交互に見ながらポツリと尋ねた。
ふうー。
高い高い鼻から息を吹き出し、答えるマスター。こめかみの血管が破裂せんばかりに浮き出ている。


「それは言えん」


真っ赤、という表現が何よりぴったりな顔色のマスターは、それ以上何も答えてくれなかった。ああ人間の顔からこんなに湯気って出るんだ。加湿器いらないなぁ。

僚が香に気が付くまで辛抱強く待って力の限り叩きのめしたあと、久しぶりのコーヒーを一杯いただいてこの日は帰路についた。


**


設定してから2回目になる着信音で雑誌から目を離す。何よ今ごろ返事なんて遅すぎるわよ今何時だと思ってんのよ。日付…は変わってないか。 放りっぱなしだった携帯電話を開いてメールを読む。

―通学路無視するなよな

喫茶店に寄ったことに言ってるのだろうか。確かに通学コースではないが僚に注意される筋合いはない。それになぜこの時間になってから送ってくるのか。

―なんでバイトしてるの?

送られた質問には答えず、疑問をぷちぷち打つ。
送信してしばし。

―いろいろあんだよ大人は!

―子ども出来た?

―違う!全然違う!違うぞ!!!!!何言ってんだお前!!

―はいはいはい!わかったわよ!!

―失礼な奴だな〜

―日頃の行いが悪いんでしょうよ。昼間だって喫茶店で楽しそうだったし。

そう送ると、今までテンポよく返って来ていたメールが急に止まった。が、日付をまたぐ直前に着信ランプが点滅。
間を置いて届いたメールは。

―美人がいると労働意欲わくんだよね(≧▼≦)

カチン。
何だか腹が立った。顔文字のせいかもしれない。
美樹にじゃれつく僚の姿が脳裏を過りイライラは加速する。

―あっそ。良かったじゃない。
お め で と う !
あたし寝るから。さっさと寝なさいよもっこりバカ!

一部強調した本文を読み返し、時計をちらりと見て、頷いてボタンをぽちり。送信完了。
あたし知ってるんだから。木曜が、今日が、何の日か!!



ぴかぴかの26日、返事は待たないまま携帯電話の電源を切って眠りについた。






『こんな形で言いたくなかった!!』

 

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