頬に、冷たい空気が触れた。
吹きつける風は容赦を知らないと見え、街路樹に僅かに残った葉すらもぎとろうとうなりを上げる。目に写る風景はリアルタイムで寒々しさを増していった。


(「木枯らし」とは…日本語は言い得て妙だね。まったく)


カシミアのマフラーをたなびかせ、それでも忍び込む冷気を避けるためにコートの襟を立てて歩くのはミック。
吐く息がまるで硝煙のようだ。



―シティーハンターが、パートナーを解消した。

そんな噂がまことしやかに囁かれるようになったのは師走も中盤の頃だったか。

いわく。片割れが敵方に惚れた。
いわく。プロとして致命的な怪我を負った。
いわく。命を落とした。

噂が噂を呼び、今や月曜9時のドラマもかくやというおひれが出来上がっている始末である。



しかし、なんだ。

度が過ぎる内容は、2人を直に知っている人間からすればあり得ない話でしかなく。深刻であればあるほど笑えてくるから不思議だ。
思い出し笑いでクスクスと肩を震わせるうちに、目の前には目的地、冴羽アパート。


「So…」


は!あの窓の灯りの温かさはどうだい。
なぜわかるのか、その根拠は自分にもわからないが、ミックはアパートをほんの一瞥しただけで噂が偽りだと確信した。
もともと噂を信じてはいなかったものの、ほっと胸を撫で下ろしたのも本音。


「…なんたって、カオリが絡んでるからなぁ」


ほら。名前を口に出すだけで広がる甘さ。
もう激しさこそないけれど、彼女を愛しく想う気持ちはなくなることなどないのだろう。…それは自分だけの話でなく、あのバカも同じはず。
なのに、である。


「真相解明だぞっと」


わからないのは、剣呑な噂を放置した奴の真意だ。彼女を愛する男として、ジャーナリストとして、追及しない手はないだろう。腕がなるなる!
階段を踏みしめながら舌なめずり。
玄関にたどり着き呼び鈴を押そうとして、思いとどまった。万が一逃げられてもおもしろくないし。
少しだけ後ろめたいが、勝手にお邪魔することにする。気配を感じるダイニングへ忍び足で向かった。
換気扇の音とコトコト何かを火にかける音、そして食欲を誘う香り。


(たまんないな〜!新婚さんかっていうこの感じ!あのもっこり野郎がパートナー解消なんかできるわけないだろぉ)


鼻の下が伸びていることに気づいてはいる、が、それがどうした!
台所に立つ彼女を一目見ようと、扉の影からそっと様子を伺う。フリフリエプロンだと嬉しいんだけど…。
…ど!!!


「不法侵入たぁ、風穴開けられても文句は言えねえぞ」
「…台所に立つとは、天変地異の前触れか?」


ミックは思い切りしかめっ面を作り、かつての相棒を下から上へと舐めるように睨みつけた。
無愛想な顔の男が身につけているのは、やる気の感じられないTシャツにジーンズ。いつも通りの服装と言える。右手で光る銃口も、まぁ見慣れたものだ。
だが、腰に巻き付けたエプロン、左手のレンゲ。…なんだそれは。


「リョウ…おま」
「帰れ」
「は、ちょ」
「帰れ」
「話を聞けって」
「…」
「こ、こら!撃鉄を上げるな!!!」


黒い瞳が帯びる異様な熱に生唾が溢れ冷や汗が浮かぶ。
緊張が走り、張り詰める空気。


「ミック?」


と。 ドアが開き、香が顔を出した。
香がその存在に気が付く前に素早く銃をしまう僚。…今舌打ちしたな?本気で撃つつもりだったのか、コノヤロウ!!!
殺気立った空気を見事に変えた彼女、自分がもたらした効果を知る由もない彼女を、目にするのは本当に久しぶりだ。
ああ、こちらを見つめるまん丸い目がなんと可愛いことか。


「カオ…」
「おまー!寝てろっていっただろ!?」
「なんか騒がしかったから。それにもう平熱よ?」
「いかんいかん!とっとと部屋に戻れ!」
「もーなんなのよ!うるさいったら…」


2人のやりとりをしばらく唖然と眺めていたが、なんとか口を挟み込む。


「カオリ、風邪でもひいてたのかい?」


白い額には、解熱シートが貼られていた。


「ちょっと、ね。今流行りのインフルエンザに…」
「え!オオゴトじゃないか!」
「もう熱も下がったし大丈夫よ。ただ、年末からこっちみんなに挨拶できてないのよね…」


インフルエンザ、か。


「それはいいから、寝てろって!」


わめきながら僚が寝室へ香を引っ立てていく様を、またもや唖然と見守った。
いやはや、パートナー解消なんてとんでもない。


「ったく…」


ぼやきながらも甲斐甲斐しくお粥を運ぶあの男は誰ですか。


「なんだ、まだいたのかミック」
「リョウ…お前過保護が変な方向にいってやしないか」
「やかましい!帰れ病原菌」
「元パートナーになんて言いようだ」


いくら外からやって来たからといって、人様を病原菌扱いする横暴さに苦笑いしかできない。
こりゃお見舞いにも呼ばれないわけだ。決して短くない期間を、1人かいがいしく看病したのだろう。



街から姿を消した香。
生活態度が変わった僚。

ああ、そりゃシティーハンター解散説も出るかもな。玄関へと追いやられながらそこまで考え、ふと新たな疑問がよぎった。


「リョウ」
「んだよ」
「カオリはもうすっかりいいんだろ?いつまで監禁するつもりだ?」
「…」


監禁、とは言葉が悪いが。
僚の眉がぴくり動いたのを見て自らの予想が現実であることを知る。
思わず体ごと振り向いて正面から向き合った。


「お前、」
「壊れものはしまっときたいだろ。誰だって」


噂を放置したのも、香を狙う輩を減らすためか。
どこか拗ねた様子で放たれた言葉は、以前のこの男からは考えられないものだ。


「カオリはそんな柔じゃないさ。それに、真綿で包まれていたいっていうタイプでもないだろう」


お前が一番よく知っているくせに。
だが、僚は不適に笑ってのたまう。

「俺を誰だと思ってる?」


…は、。
は、は!
返事らしい返事を返す間もなく叩き出される。錠の落ちる音が無常に響いた。

…どうせ、そのうち我慢できなくなった香に叱られるのがオチなのだろうが。
あいつなら、窮屈さを感じさせることもなく、愛しい人を囲っておくことができるのかもしれない。そう思ってしまうから恐ろしい。



一度だけアパートを見上げ、再び街へ向い始める。とりあえず、この真実をおもしろおかしく仲間に伝えようじゃないか。

緩んだ頬を撫でる風は、相変わらず冷えきっていた。










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まろぞうさまへ 19191hitリクエスト
「恋人という認識を持って、タガが外れちゃった僚ちゃん(原作寄り)」

 

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