喧騒も、色彩鮮やかな広告の類いも、威容を放つビル群も、それら日常の全てが置き去りにされたような山中の廃墟。一応はコンクリート造りなのだが、内部まで緑の侵食が進んだこの建物は人工の匂いが希薄だ。


「くわあ…」


閑か過ぎる環境に、こらえきれず欠伸をひとつ。新鮮な空気がダイレクトに肺に入ってくる。
それもそのはず、林の木々が目と鼻の先にある建物の外壁に僚は座りこんでいた。場所は3階。地面はけして近くないがこの程度の高さなら慣れたもので、心地よい風がダイレクトに当たりプレッシャーよりむしろ爽快感が先に立つ。
というわけで、もうひとつ欠伸。


「緊張感ないわね」


傍らに当然のように腰を下ろしているのは香だ。
パートナーの態度をたしなめてはいるが、空中に放り出した足をぶらぶら泳がせる姿も負けず劣らず緊張感がない。
しかし、2人の手にはきちんと銃が握られている。手のひらの中の固い感触がなければ、仕事中だということすら忘れてしまうだろう。
思いもよらず長引いた依頼だったが、ここで敵の親玉を仕留めれば晴れて任務完了。もうひと踏ん張りの正念場だ。だがしかし、こののんびりした雰囲気は…。いかん。


「もっこり美人の膝枕が欲しくなるなあ」
「おのれは…!真面目に働けこの馬鹿!!」
「て!」


ポコ、と頭に軽い打撃が走った。いつの間にか香の左手にはミニハンマーが握られている。本当に、どこから取り出しているのか。4次元ポケットでも持ってんのか?いつもの疑問が渦を巻く。


「おまーな…。そんなもんどこにしまってんだよ。いつもいつもポカスカ殴りつけやがって」
「やかましい!仕事終わったらいくらでも膝枕したげるからしゃんとしなさいよしゃんとッ」
「…人の話をよく聞けよ。もっこり美人の、つったろ。野郎の太ももなんか願い下げだ」
「こ、の…ッ!」
「お!ちょ!そんなもんで殴ったらとんでもない音が出て計画がおじゃんだからな!仕事熱心な香ちゃん!?」


巨大ハンマーを構える香に多少びくつきながらストップをかける。
2人が潜んでいるのはごく限られたスペースで、確かに僚の言葉は正しい。香は怒りで顔を真っ赤にしながらもハンマーを叩きつける寸前で堪えた。その足が震えているのは、憤りからかハンマーの重さに耐えかねてか。


「ったく。いつでもどこでもハンマー振り回す癖、治せよな」
「いつでもどこでももっこりする癖を治したら考えたげるわよ」
「さいですか…」


はは。もれたのは渇いた笑い。全く、どこにいようが同じことばかり繰り返しているな俺たちは。
話を続ける気にもなれず、お互いに黙りこくる。
会話もなく、緊張感もなく、加えてそよそよと優しく頬を撫でる風だ。僚の眠気はどんどん存在感を増していった。


(あー…かったりぃ)


意識的に瞬きを増やし睡魔と戦いながら、横目に映るのは相棒の足。口ではああ言ったがたまらなく魅力を感じるのが本当のところだ。甘ったるいじゃれ合いなどする仲ではないから、あんな言い方にしかならなかったが。
ああそれにしても眠い。こんな風に待ちぼうけするくらいなら愛を語らった方がよっぽど有意義に違いない。


(素直になるかならないか。それが問題か?)


回転が鈍くなった頭は普段からは考えられない方向へ思考をめぐらる。頼みの綱の鉄の塊ですら、もはや労働意欲を保つ役割を果たさない。

ああ眠い寝たい眠い寝たい眠い!



太陽が傾いていくのを見つめ、帰りは深夜を回るに違いないと嘆息した香は、ふいに僚の異変に気づいた。
大きな体が、香の方へ傾いでいる。


「どしたの」
「…香ぃ」


もごもご喋る僚の言葉を聞き取るため、座ったまま尻を動かして近づく。ハテナを飛ばして顔を覗きこもうとした、その時。

2人が潜む部屋にけたたましい音を立てて何者かが入ってきた。


「冴羽ぁ!どこに隠れてやがる!」


―パァン


「…!!!」


制止する隙などなく。
香の目の前でパイソンが硝煙を上げている。
大きく傾いた不自然な体勢のままで僚が打ち込んだ弾は確実に侵入者を射ぬき、晴れてお役御免。待ちに待った敵はただ一言しか発しないうちに片付いてしまった。
が、それはこの際どうでもいい。


「…んた、至近距離で!危ないじゃないの!!」
「うーるせぇなあ。俺がおまーに怪我させるわけねぇからいいだろ!」
「良かないわよ!寿命縮んだわ!」
「香」


ホルスターに銃をしまうが早いか、僚がますます身を乗り出した。
そういえば敵を打つ前も何か言い掛けてたわねと僚を見返せば、香をしっかりロックオンした両目は完全に据わっている。
そのただならぬ迫力に、抗議の勢いも止まってしった。


「仕事終わったから膝貸せよ」
「え、」


ぽす、と香の太ももに重みが落ちた。


「は、ちょ!僚!?」
「僚ちゃん寝るわ」


言うが早いか轟くいびき。こうなると動こうにも動けない。


(なんでこんなことに…)


いつも通りだったはずだ。勤労意欲を見せない僚の尻を叩いて、言い合いして、そうだ「野郎の膝枕なんて」とも言ったわコイツ!なのに電光石火で片付けたと思ったら、これだ。
夕日に照らされ、僚の顔は橙色に染まっている。もう深夜を過ぎてもアパートにはたどり着けないだろう。
嘆息して呟いた。


「ほんと。あんた何がしたいのよ」



しっとり暮れてゆく世界を見下ろし、黒い髪を優しく撫でた。










 

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