「ん」
「む」


テーブルの上を僚の手がさ迷った瞬間、顔も上げずに香が醤油を差し出す。テレビに視線を向けたままそれを受けとる。
アイコンタクトすらしないままの絶妙なやり取りは、パートナーだからこそか。端から見たら完全な熟年夫婦である。が、2人の間に流れる空気はひたすら気まずい。



香の態度がおかしくなってから数日、今や会話すらまれである。たまに口に出すのは単語どころかたった一文字。どんな鉄道員だ。不器用過ぎだろ。
おかげで近隣住民から騒音に対する苦情が出てくることもなく、それは喜ばしい。喜ばしいが、喜んでいる場合ではないのが今の状況だ。
ギクシャクした空気に耐えかね、箸を置くと同時に今日も玄関へ。単なる夜遊びが今じゃ貴重な息抜きタイムになっている。香の視線を背中で感じながらドアを閉めた。俺がそっぽ向いてるときばっかこっち見るな。クソ!


**

可愛いオネーチャンたちとの一時を楽しんで、帰って来たのは日付が変わってだいぶ経ってからだった。
いい加減飲んだくれて焦点の合わない目に飛び込んできたのは、ソファーでまるくなった香。長い睫毛が頬に影をつくっている。
カップにコーヒーが残っているところを見ると、ここで眠るつもりはなかったのだろう。そりゃず〜っと俺を意識してるんじゃ疲れもするさ。
なにやらわめいているテレビを消し、香を起こさないようにそっと傍らに腰を降ろす。


(疲れてるのはこっちもか。)


香が僚をあんまり意識するから、僚も香が気になってたまらない。おかげでここ数日、僚の頭の中は香、香、香。
普段意識しないように努力している相棒の女っぽさに、どれだけ刺激されたことか。ボキ種馬だぜ?もう限界です。


(なぁ、いっそ)


大きな手が、髪の毛から顔のラインをなぞるように移動する。


(先に進んじゃうか?)


小さな顔に影を落として唇を塞いだ。
想像以上の柔らかさとみずみずしさに、すぐに離す予定はあっさり変更。理性が剥がれるがまま、舌で探る。夢中で味わううちに体は香の上。


「…」
「!」


さすがに違和感を感じたのか、身じろぎする香。思わず身をひき何気なさを装う自分が情けない。


「…ん…りょお…?」


寝呆けているのか言葉が舌ったらずだ。そこも可愛い!なんて思うほどの余裕はないが。


「なんっか、…変な夢みちゃった。あたしと…僚が」
「はっはっは香。それは夢だから気にするな寝ろ」


あれ?僕ちゃん2人の関係を進展させようって決心したんじゃなかったっけ。
焦ると人間こんなものだ。必死に寝かしつけようとする僚にかまわず、夢うつつに香は喋り続ける。


「キスしてた」


すいません夢じゃありません現実です。


「…香」
「気色悪かった」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…香?」
「…(ぐぅ)」
「香ちゃーん」
「(すぴー)」
「男女」
「(すぴぴー)」
「かおるくん」
「…」
「…」
「…(熟睡)」
「…」


酔いは完全にさめている。ただ呆然と香の言葉を反芻する僚。リピートアフタミー。
気色悪かった。
気、色、悪、か、っ、た、と!
そういったかこのお嬢さんは!!!
僚の目に炎が宿った。


**

「くおらッ!このもっこり野郎ー!!」


新宿に、久しぶりの怒声が響く。繰り出される巨大ハンマーに、これぞ新宿名物と目を細める者すらいた。


「あんったねぇ!ナンパだけでも十分はた迷惑だってのに日中からところかまわず女性を押し倒すな!!」
「じゃかあしい!もっこりちゃんがいれば押し倒すのが男としての義務だ!」
「そんな義務があったら安心して外出歩けるか!」
「おまーは押し倒す側だから安心だろ」


―ゴッ!!!

渾身の力でハンマーを振り下ろす。だが今日の僚は異様に回復が早い。潰しても潰してもさっさと這い出てきて美女のお尻を追い掛ける。そのくせあたしには目もくれないんだから!
数日間にも渡って悩んだのがばかみたいだ。僚と結ばれた後のことを考える前に、あいつはあたしのことなんか見向きもしてないじゃないか。
そうなのだ。香は僚がもっこりしない唯一の女で、自分に魅力がないことだって重々承知している。だから2人がキスしている夢を見たとき、現実とのあまりのギャップが気色悪くてたまらなかった。
なんて不毛な恋。あたしばっかり気にするのはもうやめやめ!!
香の本心など知るよしもなく、僚はナンパにせいを出す。いつもより多くお声をかけております。



後悔させてやるぞ、香。
この俺のキスが気色悪いだと?
「僚ちゃん凄い。こんなの初めて」なら納得だ。それを言うにことかいて、この俺を下手くそよばわりか?ふふん。
見てろ。パワーアップした僚ちゃんスペシャルをお見舞いしてやろう。遠慮なんか知らん。
一発で腰くだいてやる!



予行練習に勤しもうとする男と、恋に盲目であろうとしない女。
居心地の悪さは嘘のように消えていたが、2人ともそれを歓迎できる状況ではない。
関係は表面上、元の木阿弥。



かくして、日常は日常たり得る。









*****
一応、妄想トリッパーのまとめのつもり…です…。
予行練習のためだけに街中で押し倒される美女がかわいそう。

 

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