「ばあか」


僚が香に言った非難らしい非難はそれだけだった。

人質がいなければ、香が捕らわれていなければ負わずに済んだだろう肩の傷からは血が溢れている。

あ、痛い。

辺りに動く者はもうないが、この場でゆっくりしていてもろくな手当てが出来るわけではなく。何食わぬ顔で「おら、帰るぞ」と顎をしゃくって促す僚の後について歩いた。
大きな背中を見つめていると目頭が熱くなってきたが気が付かないふりをする。


**


会話もないままアパートに帰りつき、手当てが終わるやいなや香はバスルームに放り込まれた。僚いわく、「薄汚れてて見てられない」らしい。
ひどい暴言だが今はハンマーを出す気力もなかった。
のそのそと服を脱いで、シャワーのコックを捻る。吹き出したのは冷たい水だがかまわず頭から浴びた。

僚が撃たれたとき、本当に死んでしまったかと思った。
自分の顔の横で黒い鉄の固まりが火を噴いた瞬間、目の前が真っ白になった。

僚を信頼していないわけじゃない。あいつは殺しても死なない変態野郎だと思っている。
だが、離別は突然やって来ることを香は知っていた。


「…あにき」


怖かったよ。僚が死んだらと思ったら怖かった。あたしさえいなければあいつは誰にも負けないのに。


「でもあたしは、僚がいないとダメなんだ…」


僚の血が流れたのを見たとき、いっそあたしも一緒にと。


「…こんな事言っちゃ殺されるわ」


いつの間にか水はお湯に変わっていた。顔を流れる温かいものが目からなのかシャワーからなのかはっきりしない。


いや。
泣いてなんかない。

パートナーになったとき、女扱いしないはしないあいつは言った。だから、泣くなんて女々しいことはしない。



シャワーを終え、最後に洗面所で頬を叩き気合いをいれた。
僚に怪我をさせてしまったのは香だ。起こってしまったことは変えられない。ではどうする?
もうそんな事起きないよう、頑張るしかないでしょ!!!


「よし!」


僚にきちんと謝ろう。
まずはそこからだと、幾分緊張しながらリビングのドアを開けると中は無人。
せっかくの覚悟が空回りか。拍子抜けしたが、ふと目をやったテーブルの上から視線を動かせない。


「…」


湯気を立てるコーヒーが入っているのは、確かに香のカップ。


「…やめてよ。涙が出ちゃうじゃない」



頬にこぼれた雫も真っ黒な飲み物も、たまらなく甘かった。










*****
(タイトル参考:大杉久美子/アタックNo.1)

 

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