映画の配給元だか製作所だかのロゴを最後に、スクリーンはブラックアウト。照明がフェードインし、先ほどまでの雰囲気が嘘のように消え去った。軽快な音楽が流れる明るい場内は楽しげでさえある。
つい先ほどまで登場人物たちの残酷な最期に冷たい汗を流していた観客らは、何食わぬ顔でショッピングに戻っていく。何という変わり身の早さだろう。白々しい!


「…い」


だいたい、どうしてお金を払ってまで2時間もかけて人が殺される様を観ないといけないのか。人間の神経はやはりどこか狂ってきたのかもしれない。


「…おい」


多出する悩ましいシーンも意味不明だ。確かに恐怖映画とエロティックな要素はセットが定番だが、この作品の場合は過剰に過ぎる。背筋も凍る殺戮劇と、濡れ場の往復に、目がチカチカしてすぐに立ち上がれないほどだ。


「おい香」
「そうよ体が固まってるのは内容に呆れてるからなのよ怖いわけじゃないのよ」


怖くない怖くない怖くない怖くない怖くない!


「…いや、怖いんだろ?」
「は!?なによ僚!」
「考えが口に出てましたけど。香ちゃん?」


何度も何度も怖くないと早口で呟くお前が怖いわ、と語る間抜け面。あんたになにがわかんのよ!?


「おら。観るもん観たし、さっさと帰んぞ」
「え…ちょ、待ってよ!」


二度と立てないのではないかと思うくらい体の力は抜けていたが、置いていかれてはたまらない。慌てて、とは言っても他人の目から見ると重度の腰痛持ちのようなゆるゆるとした早さで、ようやく座席からお尻を浮かせた。が、上手く歩けない。不思議に思い足を見れば膝がガクガク。まずい。真剣に置いてきぼりになっちゃう!
焦って僚を呼び止めようと顔を上げれば、相変わらず同じ位置にある相棒の顔。


「ジャケット、皺が残るとぼき困るんだけどなぁ」
「へ」


男の優しさかと思えば何のことはない。自分の手が着古したジャケットをきつく握りしめている。


「は、はは…。これじゃ歩こうにも歩けないわよねえ」
「ばぁか。男のくせに臆病だな」


―ゴスッ


「おほほほほごめんあそばせ?かよわい女の子だから怖くて怖くて。けど野獣に縋る方がよっぽど怖いわよねえ。失敗失敗。」


俺がいつ、おまーに野獣の顔を見せた。なんてぼやきはスルー。
ハンマーを振るったお陰か、やっとほぐれた体をグッと伸ばし、潰れたままの男に一声かける。


「ほら、観るもの観たんだし、さっさと帰るわよ」


**

万年金欠の冴羽商事だから、映画館で映画を観るという行為はちょっとした贅沢にあたる。しかも2人揃ってなんて、初めてのことだ。たまたまチケットを頂くという偶然がなければ、今後もあり得なかっただろう。そう考えたからこそ、貰ったチケットが苦手分野のものだろうと、香とデートなんて嫌だと僚が抵抗しようと、その首根っこを引きずって映画館にやって来たのである。得たものは甘い時間ではなく拷問のような時間だったが。
帰る帰ると口にしたものの、せっかくの遠出のついでにいつもの喫茶店に寄ってみれば世間話に花が咲く。話題は当然今日の出来事だ。


「へぇ。冴羽さんとねえ。」


意外そうに相槌を打つのは美樹。ミルを回す手を止めてカウンター越しに香を見やる。


「でもホラー映画でしょう?いくらデートだからってよく我慢したわね香さん?」


こんな男女とデートなんかしてないと叫ぶ僚に、とりあえずハンマーを与え、腕組みをしてしみじみと語った。


「怖いなんてもんじゃなかったわ…。あんまり緊張してたもんだから明日あたり筋肉痛になりそうよ。」


美樹の目が真ん丸くなって香を見つめる。


「で、あたし思ったの。あんな酷い殺され方したくないから、次に万が一敵に捕まった時には下手に抵抗しないようにしようって」
「?」


全く違った方向に向かった香の話について行けず首をかしげる。美樹だけでなく、隣で皿を拭いていた海坊主まで頭にハテナを飛ばして耳をすましているようだ。


「死ぬのが嫌なわけじゃないの。もちろん、死にたくはないけど、僚のパートナーになったときから覚悟はしてるわ。…けど、あの話みたいになぶり殺されるのは絶っっっっ対、嫌!あたし、恥ずかしながらまだ未熟じゃない?だからごくたま〜に敵に捕まったりしちゃうけど、奴らがいたぶり殺そうとかそんな気を起こさないように騒いだりしないようにしようって、そう思ったの」


ええと。

「…あの話でそんな結論にたどり着くなんて、香さん」


熱い決意を一気に語った香を、呆れと感心が入り交じった瞳で見つめる。あ、呆気に取られるってこういうことなのね。
キャッツの店主2人の度肝を抜く発想は、天然ゆえか。ハンマーの衝撃で床に頭をめり込ませながら、僚がついたため息は誰にも聞こえなかった。


**


「…やっぱりな」


予想通りの状況にまたため息がこぼれる。


「おまー、抵抗せずに大人しくしとくんじゃなかったの?」


あの決意を語ってから1週間経ってないんですけど?
あれから数日。ひょんな事件に巻き込まれ、例によって敵の手に落ちた香を救出に来てみれば、見事にボロボロのパートナーの姿。しかも今までなかったほどの痛めつけられようだ。
拘束された手足は血が滲んでいるし、顔の腫れは数日残りそうなほどの存在感。しかもなんだこの体勢は?
香を押し倒したまま、打ち抜かれた右手を押さえ呻く男を、鋭い蹴りでぶっ飛ばす。来るのがもう少し遅かったら、など考えたくもない。


「ばぁか」


そっと抱き上げ、囁いた。


「ごめん…」


わかってるさ。お前は自分のことじゃむきにならないもんな。どうせあいつらが俺を悪く言ったんだろ?そんなの無視しときゃいいのに。
優しい言葉はかけてやらない。もう一度、馬鹿野郎、と呟き腕に力をそっと込めて香の存在を確認する。


「さぁ、どうしてやろうか」


安心したのだろう、気を失うように眠りについた香の髪をそっと撫でながら口を歪めた。香には見せたことのない表情。香に出会うまで知らなかった表情で、床に付した男たちを見据え、低い声で告げる。


「楽に死ねると思うなよ」


恐怖に怯えて、苦痛に喘ぎ、絶望に狂ってしまえ。お前らが誰に手を出してしまったのか、じっくりと教えてやろうじゃないか。
ああ、俺とあの怪物とどこが違う?おまぁが嫌う残酷なあの怪物と。
都会を離れれば、月がない夜は驚くほど暗い。ブラックアウトした世界は物語が始まるでもなく終わるでもなく、ただ続く。これが映画なら、怪物が人間になってお姫様とハッピーエンドってのも有りだけど。


「現実はこんなものだよ」


致命傷には程遠い一撃を、まずは一発。










*****
13日の金曜日の新作が出ていたから…!

 

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